国東市の未来像 その1
少子高齢化(問題提起)
今から16年前、4町が合併して国東市が誕生した時の人口は約35000人、そして現在2022年時点の人口は約26000人。たった16年のあいだに9000人が減少し当時の四分の三になりました。そして試算によればさらに20年後の国東市の人口は15000人を割り込むだろうと予測されています。しかも人口の半分は65歳以上。75歳以上はじつに全体の4割近くに達します。こうなると税収の低下や医療福祉の負担増から自治体の財政維持そのものが困難になります。すべての行政サービスが縮小するのはもちろんのこと、このまま進めば国東市の存続自体が不可能になるでしょう。
「少子高齢化」の問題は私たちが暮らす国東半島に限らずこの国の共通した課題です。この国の人口も40年後は8千万人を割り込み高齢化率は4割を超えます。人口減少社会です。国全体としての経済発展はありません。長い坂道を下っていく右肩下がりの社会です。これはこの国にとって避け難い未来です。私たちはこれまでの既成概念を捨てて未来に向けて大きく舵を切らなければなりません。
少子高齢化するこの国の中でそれぞれの地域はこの問題に対する解を模索していますが、どの地域もいまだにその糸口さへ見出せずにいます。仮にどこか特定の地域の人口が増えたなら、他の地域は減少を加速することになります。このことはとても重要な問題です。それを踏まえた上でこれからの地域の未来を考える必要があります。それぞれの地域の特性、資源を活用してどのような未来社会が描けるのか、今こそそれが問われている時なのです。
国東固有の資源(リソース/道具立て)
では国東市の持つ特性、資源とはなんでしょう。
大分県内の他の自治体が持っておらず、国東市だけが持っているものがあります。それは大分空港です。東京・大阪・名古屋などの大都市圏に県内で一番近い場所がこの国東なのです。1971年に国東半島に大分空港が開港し、空の窓口となって40年。県は大手製造業を誘致し、それに伴い関連企業が進出してきました。国東市民が受けた恩恵も少なくありません。しかしながら国東市はこの貴重なインフラを積極的に活用しようとはしてきませんでした。あったとしてもそれが経済的に成功したとは言えません。ほとんどの場合、国東はただ通過点として空港利用者が通り過ぎるのを見守るだけでした。
空港という交通インフラのアドバンテージを活かすことがまず一つめの課題です。
そしてもう一つ、国東市の最大の資源は国東半島の文化そのものです。
奈良時代から平安時代にかけて国東半島では神仏習合の仏教文化が形成されましたが、国東の山々はそれ以前から山岳信仰をはじめとする精神文化の中心地でした。なぜ国東半島だったのか、その理由は分かっていません。おそらく国東半島の地勢そのものがある種の磁場のようなものを持っているのかも知れません。いまでも半島内に残る数々の石造物や古いお祭りのなかに当時の信仰の痕跡が残ります。
2014年の秋、国東半島芸術祭が行われました。その前後にたくさんのアーティストや学者がこの半島を訪れました。彼らが国東の印象として異口同音に語るのは、国東半島では「あの世(死)とこの世(生)の境界が日々の生活のすぐそばに感じられる」ということです。
私たち、国東半島に実際に生活するものとしてあたりまえのように感じている空気が彼らによるとこのような表現として語られます。これは外部から見た国東の印象を代表するものであるでしょう。そして生活者である私たち自身も日常生活からほんの少し視点をずらしてみれば、同じような幻視を垣間見ることができるはずです。
私たちはあらためて国東半島のもっとも古い地層に接続して、そこから私たちの未来に繋がる価値を見出していかなければなりません。
空港という交通インフラと古代から連綿と続く国東半島文化、この二つの大きな資源を活用して実際にどのような国東市の未来が描けるか、見ていきましょう。
・・・その2に続く