国東市の未来像 その3
(step3)教育について
自分の子どもたちをあらゆる権威、圧力、偏見から守ることが私たち大人の第一の使命です。そして子どもたちこそがこの国の未来にとって、私たちの住む地域社会の未来にとって最大の資源なのです。
学校教育は子どもたちが幸せになる方法を自ら学ぶ場であるはずです。そこでは子ども同士の競争という概念はいっさい必要ありません。
私たちが参照すべきひとつの教育のかたちがあります。フィンランド型教育といわれるものです。
たとえば日本では教科単元ごとに正解とされるものが決まっていて、それを導き出すこと、あるいはその答えを覚えることが教育指針とされています。いっぽうフィンランド型教育では生徒が疑問に思ったことについて生徒自ら情報収集し、解決のための意見を発表し、議論します。しかもそれは単一の科目だけでなく、複数の教科を横断して行われます(クロスカリキュラム)。教師はその手助けをするのが役目です。教室を出て国東の自然や里山の中で学ぶこともあるでしょう。地元の人たちに授業の協力をお願いすることもあるでしょう。そうして子どもたちはそれぞれに興味を持った分野を深く掘り下げてゆきます。点数を取るために学ぶのではなく、自らが幸せに生きるため、そしてこの世界で生き残るための学習です。
授業に関する教師の裁量も大きくなります。教師が自ら教科書を選び授業を組み立てます。授業時間も短く、教師の労働時間は減少し、子どもたち一人ひとりに向かう時間は増大します。統一テストは完全に廃止し、生徒が宿題に要する時間も最低限度とします。すべては子どもたちを守るためです。当然、教師自身が学ぶことも多くなるでしょう。教師の権限が拡大される代わりに教師の能力のさらなる向上が求められることになります。結果として教師たちはかつての「威厳」を回復するでしょう。「先生」のようになりたいと思う子どもが増えていくことでしょう。またそうでなければ、学ぶ人=教える人の関係は持続していかないのです。
(step4)未来学校としての国東高校
もちろんこれは一朝一夕になるものではありません。しかしこの国東市で全国に先駆けてこれを始めることは可能です。
国東市では一昨年、小中9年間一貫教育の「志成学園」が誕生しました。私たち国東市民にとっては僥倖です。この学校を起点にして、いま子どもたちに最も必要な学びの場を私たちの手で作り始めましょう。それを国東市内の全小中学校に広げてゆきましょう。そして国東市内の中学校から無試験で国東高校に入学できる新たな仕組みをつくりましょう。入学試験を完全に無くすことで子どもたちの貴重な学びの時間を守ると同時に、学ぶことに対するストレスを大幅に取り除くことができるはずです。「6・3・3年制」子どもたちのために12年間の自由で濃密な「学びの場」をつくりましょう。不要な競争を取り除くことは子どもたちにとってとても大事なことなのです。
現在の大分県立国東高等学校は従来からの普通科に加えて各種専門学科が併設されています。教育の多様性は生きるための学びの場をつくるときに大きなアドバンテージになり得ます。内外から特別講師を招聘しましょう。県外からも学生を募集しましょう。国東半島の自然と伝統文化の中で子どもたち主体の自由な学びの場をつくりましょう。国東市には大分空港があります。大都市圏からの国内留学を推進してゆきましょう。学生寮も作りましょう。地元住民による里親制度の仕組みも考えましょう。子どもたちは私たちが生きる社会の可能性そのものです。子どもたちを国東半島の地で守り育てましょう。
(結論) 「今いる人、もういない人、まだいない人」国東時間
いまこの場所に流れている「時間」は生きている私たちだけのものではありません。その傍らにはすでに逝きこの地に眠る人、そしてこれからこの地に生まれ出ようとする人がいます。つまり「今いる人、もういない人、まだいない人」にとって同時的に時間は流れています。(図一)
もっとも重要なのは二つの境界部分、つまり「死」と「生」のポイントです。この二つの境界の周縁に私たちの持てる資源を集中することで、今生きている私たちの世界がとても豊かに結実していくのです。
これまで見てきたように、現代社会の「死」の問題を積極的に取り扱うこと。その解の一つとしての庭園墓地「時間の庭」、介護福祉・医療関連事業の促進、そこで生みだす利益をこれから生まれてくる子どもたちの「生」に還流すること。古今東西すべての社会集団において「死」の取り扱いはその社会を規定する最も重要な事柄でした。ところが現代社会ではそれがうまくいっていません。今この時点でそれができる地域はとても限られています。国東市は最も大きな可能性を持った地域の一つです。循環する自然の中で私たちの「死」を丁寧に扱うこと、安心して眠れる場所を確保することが、必ず「生」を賦活するはずです。
超高齢化問題の帰結は今後大量生産される「死」を社会としてどのように取り扱えばよいかということです。「死に至る時間」をどのようにデザインしていくか、いかに豊かな時間に変えられるか。
いっぽう「生」のポイントの周縁には子どもたちがいます。これから生まれてくる子どもたち、これから育っていく子どもたちをあらゆる社会の圧力や権威から守りましょう。そして社会の中で死と生を循環させていくのです。
国東市を人口減少局面から反転し、死と生が循環する持続可能な社会にするためには、いま考えられる限りこの方法しかありません。この益は国東市の周辺地域にも広がるでしょう。隣接する杵築市や豊後高田市と連携することが重要です。「死」を国東半島の地に集約する。関連事業の拡大を促す。経済が活性化する。そしてその利益を子どもたちに向けること。大事なのはこの手順を踏むことです。
そして行政の基準となるもの、個々の政策の判断基準は、それが本当に「子どもたちのためになるのか、どうか」であるべきです。とても単純なものです。私たちはつねにその場所に立ち返って、妥協することなく議論を続けてゆかなければなりません。そうすれば私たちの未来はおのずから開けてくるでしょう。
「私たちは私たちの子どもを守らなければ。」
以上が国東時間のコンセプトであり、私たちが構想する国東市のグランドデザインです。
私たちはこの一連の取り組みを「国東時間プロジェクト」と名づけました。共感していただける方はご連絡ください。一緒にこのプロジェクトを進めていきましょう。