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選挙日誌6日目:選挙が変わらなければ、地域は変わらない

昨日の公式選挙ビラ配布から一夜、有権者からの熱いエールが僕の携帯電話に飛び込んでくる。このテキストを読んでくれさえすれば、僕の考えは全て伝わると思う。選挙広報も一番くじを引いたらしく、幸運にも最上段に掲載されている。すでに有権者の全世帯に配られているはずだ。選挙広報には僕のもっとも中核となる行動理念「国東時間」だけを掲載した。とてもシンプルなものだ。これも結果よかったのかもしれない。

 

さて、僕の選挙運動の戦術としては7割が選挙ポスター、2割9分が選挙ビラ(ここまでは完了した)、残る1%がこのインターネット活動だと位置づけている。「選挙に行くのは年寄りばかりやけん、インターネットなんか誰も見らんよ」と周りには言われるが、どうしてそんなことがあるものか。たとえ有権者が直接目にすることはなくとも人知れずせっせとしたためるテキストは何らかの形で震動となって伝わるものなのだ(科学的ではないけど)。

 

僕は選挙期間中、昼間はお茶室でお客さんと話して、夕方からこれらのテキストを書き始めるのが習慣になった。選挙後半戦は言い残したことをできるだけ全て書いておこうと思う。

 

まず「選挙」そのもののあり方について。

 

今回僕は選挙カーも使わないし、立会演説もしない、「引き篭もり選挙」を選択した。選挙事務所たる自宅アトリエのお茶室で来訪者を待ち、一期一会で対面するということだ。さすがに行列ができるというほどのものではないが、毎日何人かのお客さんがウチを訪ねて来て、ゆっくりお茶を飲みながらお話をさせていただく。僕にとっては日常よりもさらにゆっくりした幸福な時間です。

 

新しい元号も「令和」に決まり来月には平成から令和に変わろうというこの時期。国内の選挙は相変わらず昭和の時代の選挙を続けています。選挙カーでウグイス嬢が候補者の名前を連呼し、沿道に人々が出て握手する。寒い中候補者は辻立ちをして有権者の同情を集め、立会演説会ではハンドスピーカーが発するひび割れた声が静かな日常を侵食する。組織と地盤による、そして既得権益を守るための選挙です。政治家という職業が尊敬されなくなってずいぶん久しい。

 

たぶん、みんなおかしいと思っているはずです。

 

こんな光景を見て育って自分も選挙に出ようと思う若者がいるはずがない。優秀な人材はこうやって政治から離れ、投票所から離れ、地域から離れていく。こういう選挙はもうやめなければ。政治は劣化し人口は減るばかりです。

 

地域には優秀な、そして志のある若者がまだまだ残っている。彼らが職業を持ちながら議会に参加して地域の問題を考える道を作らなければ。仕事が終わってから夜議会を開催してもいい、選挙期間は全員の候補者による公開討論も聞きたい。志のあるものが議会に出やすい環境を作るべきです。そして有権者は地縁・血縁・利害関係・同調圧力によらずに、自分で考えて地域の将来を託せると思う人を選ばなければ。僕たちの世代でそれをやらないと。また次の世代に先送りするわけにはいかないじゃないですか。

 

今回の県議選、ボランティアで公開討論会を企画してくれようとした志の高い人たちがいた。残念ながら人手不足で実現できませんでしたが、いずれ市議選でも県議選・市長選でも全ての選挙で公が設定する公開討論会が必要だと思います。その様子をケーブルテレビなり、Youtubeで誰もが見れるような仕組みを作るべきです。候補者のヴォイスを、主張を伝える手段が必要です。候補者の主張すること、それから他者との議論のなかで見えてくる「人の像」が必ずあるはずです。

 

それから志のある若い人が立候補しやすい環境を作ること。議員との兼業ができるように夜議会の開催も必須です。何処かの会社に勤めていても、勤務時間が終われば政治活動ができるような環境を作るべきです。地域の人材を募るというのはそういうことです。職業的な政治家を否定するわけではありませんが、固執したものは必ず腐敗する。これは世の中の原則です。

 

修正すべき点はまだまだあります。でもはっきりしているのは、今の選挙のありようが変わらなければ豊かな地域の未来などあり得ないということです。現状の選挙は「保身」です。既得権益をひたすら守るためにベクトルが一定方向に向いています。これを変えられるのは有権者の意識だけです。次の世代に少なくとも公平な環境を残すことが今我々の世代の役目なのではないでしょうか。

 

 

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