選挙日誌9日目最終日:時間を味方にしなければ
いよいよ選挙期間最終日。やるべきことは、やりました。有権者に伝えるべきことも、すべて伝えた。選挙は有権者が主役です。あとは有権者にお任せします。明日は朝イチで投票に行って僕はしばし身をかわします。
最後は自分のことを書いておこう。
僕は1962年、国東市安岐町で生まれました。旧東国東郡安岐町下原。父親が転勤族だったので3歳になる前に安岐町を出ましたが、毎年盆と正月は祖父母がいる安岐町に帰って来ていました。写真はうちの実家前のかつての安岐の湊です。護岸工事が施される前はうちのすぐ前を川が流れていました。いろんな漂流物が流れ着いていて、ドキドキしながら渚でひとり遊んだことをおぼえています。
最初の引越しは大分市新川の長屋みたいなところでした。共同風呂だったなー。思えば家族にとって一番幸福な時代だったのではないかと想像します。チンドンヤが通りを横切り、夕方になると辻には屋台のおでんやが出ていました。高度成長時代のど真ん中です。父親は二年毎に転勤していたので、僕は小学校を三つ中学を二つ変わりました。学校では常に「転校生」というポジションでした。
小中学校時代の僕は赤面症で、人前に出ることが大の苦手でした。それが年月を経て経営者になり、大勢の前で講演会を行うようになり、総理官邸でプレゼンしたり、ついには選挙に出ることになるなんて、自分自身はもちろん周りの誰が想像したことでしょう。
高校は福岡の県立高校に進学し、そこから東京の私立大学の経済学部に進学しました。けれどもそこで初めて何かしらの違和感を感じ、自分の本当にやりたいことはなんだろう?と自問する中で、美術大学を再受験することになりました。
翌年武蔵野美術大学の建築学科に入学し、そこから7年間のムサビ生活が始まります。大学時代はアルバイトをする時間も惜しくて、ほとんどの時間を課題制作に没頭していました。唯一、ムサビ剣道部で過ごした時間が課外の活動でした。美術大学には油絵や彫刻、日本画、デザイン、工芸、建築等様々な学科があります。他学科の友人との交流の中でじつに多くのことを学びました。それぞれの純粋な「つくる意思」「つくろうとする、強い意思」です。
56歳になった今でもこの学生時代に学んだ「つくる意思」が僕のベースになっています。ムサビ時代はほんとに楽しかった。あれから随分遠くまで来たなー、と感じます。
学生時代の制作活動というのは「熱量」は今以上にあったかもしれませんが、そうそう思うように作品ができるわけではありません。当然、知識も経験も未熟なので作りたいものと作れるものとのギャップに若い頃は皆苦悩します。ひとつひとつ吸収しながら、そしてまた出力を繰り返す中でようやく自分自身のカタチを完成させて行きます。時間を自分の味方にすることが大事なのです。
新しいモノやコトを作るのに特別なものはいらないのです。身近にあるあり合わせの材料だけで素晴らしく豊かなものが出来上がります。お金をかける必要もありません。大事なのは対象や素材をよく観察し、その特性を見極め、既成概念に縛られずに自分を対象の中に没入させていくことです。今回の「僕の選挙」もそうやって手作りで作り上げました。これを評価するのは有権者の皆さんです。
そして、僕は時間を味方にしなければ。