Project
国東時間プロジェクト
「時祭」事業概要
少子高齢化、地域コミュニティーからの若者の離脱、地元住民と新規移住者との隔たり、多様化するライフスタイルによる生活時間のズレ、地域が抱えるこれらの問題はこの国の共通した課題であり、ここ国東半島に住む私たちにとっても同様に差しせまった問題です。このような状況があと十年続けば村落の自治機能も損なわれ、この美しい里山の風景も次第に消えていくことになるでしょう。
「時祭」事業は失われつつある地域住民同士の繋がりをもう一度取り戻すため、そして活力ある地域コミュニティーを再生するため、現代アートとこの地の歴史文化を融合させた新しいカタチの盆踊りの楽曲を地元在住のアーティスト「山中カメラ」が創作し、4年に一度子供やお年寄りが若者と一緒になって参加できる盆踊りイベント「時祭(ときのまつり)」大盆踊り大会を実施し、地域振興につなげようとするものです。
2014年、第一回目の会場となったのは少子化のために閉校になった旧西武蔵小学校のグラウンド。運営するのは10年前からこの校舎を使ってモノづくりの事業を行っている国東時間株式会社とこのお祭りの主旨に共感して集まってくれた有志のボランティアスタッフたちです。子供たちの声が聞こえなくなって久しいこの小学校に再び人が集まり輪でつながっていく姿はかならずや地域の人々を元気づけるものと確信しています。
映像は2014年10月19日に開催された、第一回「時祭」の風景です。初回ということもあって、思うように十分な準備ができなかったのですが、予想を超えてたくさんの方々に来ていただき、幸福感いっぱいのお祭りになりました。ご来場いただいた皆様にもたいへん喜んでいただきました。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。4年を経て今秋には第二回「時祭」を開催する予定です。今年も皆様のご参加をお待ちしています。
時祭実行委員長 松岡勇樹
中止のお知らせ
9月15日(土)に開催を予定しておりました
『第二回「時祭」』につきまして都合により急遽開催を中止させていただくこととなりました。
楽しみにしていらっしゃった皆様には、大変ご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。
何卒ご容赦を賜りますようお願いいたします。
国東時間プロジェクト 松岡勇樹
国東半島は大分県の北東部に位置し、瀬戸内海に突き出た円形状の半島で、奈良時代から平安時代にかけて「六郷満山(ろくごうまんざん)」と呼ばれる神仏習合の仏教文化が形成された。半島のほぼ中央部に標高721mの両子山(ふたごさん)があり、そこから尾根と谷が海に向かって放射状に伸びている。さらに北の海上には古事記にも登場する「姫島(ひめしま)」が浮かぶ。
近代以降、国東半島は「陸の孤島」と呼ばれ、県内でも僻地/孤立した場所として認識されてきた。なるほど道路が整備され陸上交通が主体となった近代以降は陸の突端である「半島」は最果ての地であり、内陸の中心地から見ればもっとも外縁部であったろう。だがかつて海上交通が主たる時代は4分の3を海に囲まれた半島の地形は外周各地に港を持つ交通の要衝であった。古代より国東半島は北は朝鮮半島、東は瀬戸内海の島々をとおって近畿までの交通が交差する基点として機能した。外部から渡来したヒトや情報を受け取る、文字通り受容器官としてこの地形が活きていたに違いない。そんな痕跡が半島内の祭儀にも残っている。
毎年10月14日、国見町櫛来の岩倉社でおこなわれる「ケベス祭」はその影をもっとも色濃く残している。2000年続いているとされるこの火祭り、ケベスの名称も由来も定かではない。奇祭と呼ばれる由縁である。この祭りはエキセントリックな古い焼け焦げた木製の面を被った「ケベス」(非日常を代表したトリックスター的な存在)と「トウバ」(日常を代表した守る立場の人々:当番)が「火」を介して攻防を繰り返し、ついに防衛線が突破されてカオスが出現する。それまで静かにその攻防を見守っていた境内は阿鼻叫喚の場と変貌し、火に追いかけられ人々が逃げ惑う。奇妙なのは火を持って追いかけるのは「火」を守っていたはずの「トウバ」だということだ。境界を突破したときになにかしらの反転が、あるいは交換が行われたということだろう。それ以上のことはこのパフォーマンスからは読みとれない、しかしながら鑑賞者の私たちですら異様なほどの高揚感に包まれる。お祭りの主体になる当事者たちの心境は計り知れない。
同じく国東の火祭りで旧正月に行われる「修正鬼会(しゅじょうおにえ)」がある。現在は半島内の3つの寺、岩戸寺、成仏寺、天然寺のみで行われているが、かつては六郷満山65の寺院で行われていたそうだ。家内安全、五穀豊穣、無病息災を祈願する行事で、天台宗の僧侶が扮した赤鬼の災払鬼(さいばらいおに)と黒鬼の鎮鬼(しずめおに)の2鬼がたいまつを持って境内や集落を回る。この鬼たちは決して悪鬼では無く、祖霊が姿を変えたものとされており、家のなかに迎え、食事や酒のもてなしを受ける。鬼は写真のような荒縄を巻き付けたボンデージ衣裳を身に纏い、荒々しく振る舞うが、とても優しい。鬼の身体が縄で縛られているのは、鬼の力を封じ込めるためなのだそうだ。
この二つの祭儀に共通すること。「ケベス」も「鬼」も日常の外「異界」から侵入して、私たちの日常にある種の混線をもたらし、払い、鎮め、役割を終えていつのまにか消失するということだ。一概に異界というといささか乱暴だが、要は日常からこぼれた日常ならざる時間や空間だと考えればいい。鬼やケベスは異界を代表するアイコンのひとつであり、困ったことにかれらは絶滅危惧種である。ここ国東に限らず、日常のなかに織り込まれた日常ならざる時間や空間との遭遇は、人の生活空間そのものを豊かにしてくれる、それは間違いないことだろう。逆にいま見えている生活だけが世界だとしたら、こんなにつまらないことはないのだけれど、現代社会はなおも狭いほうへ、狭いほうへと向かおうとしている。
これらの祭儀のルーツが内部と外部という関係性、その境界線上の事件にあったことは想像に難くない。この半島には海の向こうからやってきたものが豊穣をもたらした記憶が刻まれているらしい。国東半島の地形を考えれば、海から訪れたマレビトのもたらす情報(DNA)が境界の閾を乗り越えて浸透し、両子山を中心とする山襞のなかに蓄積されてきた。そういう意味ではこの半島そのものが、もっとも古いカタチのデータベースになっていると言えるだろう。奈良から平安の時代、なぜこの場所に独自の宗教文化が華開いたのか、なぜ世界的にまれに見る石造文化がこの地に残っているのか、その理由は歴史上不明のままであるが、おそらくこの特殊な地形に起因していることは間違いなさそうだ。
1971年に国東半島に新大分空港が開港し、空の交通の玄関となって40年、キャノンやソニーなどの大手企業の誘致、それにともなう関連企業の進出、1995年にはじまる世界的なインターネットの普及によって、ヒトや情報の交通システムが再び大きく変わった。その結果が見えてくるのはもう少し時間をおかなければならないだろうが、私たちをとりまく社会環境は依然として深刻な問題を抱えている。日本の戦後資本主義、高度成長に起因する、様々な歪みが地方生活者の暮らしを圧迫しているのだ。少子高齢化はその現象の一部で、30年後国東市の人口は現在の3分の2に減少しているという予測もある。またかつてこの地で開花した、伝統的な宗教は、仏教にしても神道にしても現代社会において、その主たる役目を終えようとしている。伝統宗教はそれ自体のありかたを自ら更新する必要がでてくるだろう。
私たちがやるべきことは単に伝統を守ることでは無いだろう。守るためだけに存在する伝統は地域社会にストレスと歪みを生むばかりだ。この土地の風土と固有の時間のなかで蓄積されたデータベースから、そのもっとも古い地層から再度情報を読み込みながら私たちの世代の「新しい生活」をつくらなければならないと考える。
最後にもう一つ紹介したい。私たちが現在事業の拠点としている旧西武蔵小学校のすぐそばに、かつて三浦梅園という自然哲学者が住んでいた。そこには、いまも彼自身が設計した旧宅が残っている。
三浦梅園(1723~1789)は江戸時代享保期、八代将軍徳川吉宗の時代のひとで、同時代人としては平賀源内や本居宣長がいる。梅園は生涯に三度旅をした以外は、終生、生まれ故郷の国東半島を離れることなく、家業であった医業の傍ら黙々と思考を続け、「条理学」と言われる独自の学問大系を築いた。すべて梅園自身の言葉による(引用の無い)宇宙の条理を考察した大建築だ。梅園もまたこの国東半島という巨大なデータベースから情報を読み込みながら、純粋な思考を築き上げた先達の一人だ。梅園の著作のなかでは「玄語」が有名だが、別に「価原」という経済論があり、その内容は現代において、再び大きな意味を持ち始めた。
「水火木金土殻、これを六府と云ひ、正徳・利用・厚生、これを三事と云ふ。後世の治、千術萬法有りといへども、此六府三事に出でず」「古の聖人と云ふ者は、天下を有する人なり。これを王者と云ふ。王者の材とする所は、水火木金土殻なり」(豊かさはお金ではなく、水火木金土殻の資源にあり、その使い方によると言っている)
現代社会においてはどのような辺境に住もうとも、グローバル貨幣経済の枠組みから逃れることはできない。それは世界経済が有限な地球資源を前提として動いているからだ。私たちは現在的な環境の中でもう一度「資源と時間」の使い方を考えなければならない。社会にとっての資源が有限であるのと同じように、一人の人間にとって「時間」もまた有限であり、時間は「生命(いのち)」そのものであるからだ。
そして私たちが生きる時間は、いま生きている私たちだけの時間ではない。いまここにいる私たちの他に、すでにこの世界からいなくなった人たち、そしてこれから生まれて来ようとする人たちがいる。いまこの世界にいる私たちはまさしく氷山の一角に過ぎない。もういなくなった人たちを惜しみ、まだ来ない(いずれ生まれてくるであろう子供達)人たちを心待ちにする、現世というものはいつも何か途方もなく大きな部分が欠けていて、淋しさに満ち溢れていてるものらしい。私たちの社会集団をこれからも長く(そして豊かに)継続しようとすれば、大事な圧力点はこの境界部分にあるはずだ。これから生まれてくる、これから死んでいく、生と死の境界面を大事に見ていくことが今を生きる私たちにとっての豊かさをもたらすことに繋がるはずだ。国東に帰って来てから17年、国東の風土と歴史が私に教えてくれたことはとても大きい。
「時祭」の取り組みは、国東時間プロジェクトの最初の一歩である。