代表取締役社長 松岡勇樹
ときどき若い人から仕事について相談を受けることがある。自分が何に向いているかわからない、何をしたらいいか悩んでいると言う。それがどの程度の本気なのか、こちらでは判断がつかない場合が多いのだけれど、正直なところ仕事を選ぶということについて私にはアドバイスできることはなにもない。
そもそも仕事というものは自分で選べるようなものではないだろう。向き不向きもほとんど関係ない。目の前に差し出された仕事に全力で取り組んで、その成果がどこかの誰かの評価を得て、そのことが信用をつくり、次の仕事に繋がる。自身が仕事の請け手であっても、組織の中で仕事をする場合でも全く同じ。いたってシンプルなのだ。
自分にとっての「仕事」ってなんだろう? 普段はあまり考えたこともなかったのだけれど、年明けおこなわれた自社の展示会をとおして、少しだけ真面目に考えさせられることになった。
その展示会は私たちの会社としてはめずらしく県内の会場で開催されたこともあって、社内に在庫しているほとんどすべての製品をトラックいっぱいに積み込んで、会場に持ち込んだ。かなり広い会場だったが、3メートルの巨大オブジェからミニチュアキットまで約500点を並べてみるとさすがに壮観な風景で、これが20年分の自分の仕事かと思うと少々感慨深くもあったのだ。
そうして出来上がった展示会場全体を見渡してみて、私が最初に感じたのは「雑多さ」なのだった。
この仕事を始めたきっかけは今から20年以上前、まだ東京に住んでいる頃のことである。ある展示会にために、服をディスプレイするためのマネキンをさがしていた。しかし既製品にはあまり面白いものがないし、借りても買ってもけっこうお金がかかる。そこで自分たちで作ろうということになり、出来上がったのが段ボール製組立て式マネキン FLATS(フラッツ/旧d-torso)の原型だ。
最初は自分で事業化するつもりは全く無かったのだが、とりあえず段ボール製マネキンのパテントを取得した。その後、関係企業にこのマネキンの事業化の提案を行うのだが全く反応無し。そのまま埋もれさせるのはいかにももったいないので、しようがないから自分で会社を立ち上げて事業をスタートした。限りなくモチベーションの低い創業だった。
私のもともとの専門は建築の設計で、ものを考えたり作ったりすることは好きなことでもあったし得意なことでもあった。しかしながら、ものを売ったりお金の計算をしたりということは最も不得意で、かつそれまでずっと敬遠してきたことのひとつだった。
最初は段ボール製マネキンだけの商売だったのだが、商品を見た人たちから、同じような構造でイヌやネコができないか?という具合に、様々なリクエストが来るようになり、なんとなくそれに応えているうちにいつの間にかアイテムが増えていった。マネキン(人型)が動物になり、動物からキャラクター商品になり、巨大化したりミニチュア化したり、他の商材と組み合わせてパッケージになったり、ロボット化したりと、そうした結果がこの「雑多さ」なのである。
「これを作りたい」という欲望はおそらく最初からなかったと思う。ただ、課題を与えられると後は動物的な本能が起動して対象に没入していく。そうしてできたモノが顧客の評価を得れば対価を貰う。前の仕事よりは次の仕事のほうが、技術も確実に進歩している。そうやって仕事が続いてきた。
「夢のある仕事ですねー」 展示会や仕事場を訪れる人たちに言われることがある。言ってくれる人はもちろん善意で、たぶん褒め言葉で、そのまま素直に受け入れれば良さそうなものだが、そう言われる度に私はちょっと戸惑ってしまう。ありがとうございます、と口では言いながら内心は「いや、夢じゃなくて現実なんです」と毒づくのだ。ほんとにごめんなさい。
私の場合はたまたま自分が作った作品に自分の背中を押されるかたちで仕事がはじまったわけだが、たぶん「仕事」の中身はなんでも同じなのだ。20年分の雑多な仕事を前にして物悲しくもあり、誇らしくもある。これは不思議な感情だ。誇らしいのは、「我ながらよくも飽きずにこれだけ作ったなー」という気持ち。そして物悲しさは、いま目のまえにある膨大な仕事に費やされた時間の裏側には、まったく別の仕事に関わっていたであろう自分の姿が垣間見えるからだ。
ただひとつ言えるのはこの雑多なモノたちの背景にはおびただしい数の人間たちがいたということだ。つまるところ「仕事」というのは他者/社会との繋がりそのものだということなんだろう。なんだかあたりまえの結論になってしまったが、私が若い人にアドバイスできるとしたらそういうことだと思う。
「仕事は自分が選ぶものじゃなくて、常に他者から与えられるものらしいよ」と。
会社概要へ >